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2008.11.01

レコード003〜レッド・ツェッペリン「イン・スルー・ジ・アウト・ドアー」/Led Zeppelin "In Through The Out Door"

プラント抜き再結成?の噂が流れる中で、全盛期最後のアルバムをご紹介。79年。
Inthroughtheoutdoor
2008年、80年代リバイバルが席巻して久しい昨今であります。
CMとかでBOØWYの"Be My Baby"とか流れると恥ずかしさすら
覚えてしまうんですが(笑)
ともあれ、広告代理店とか、CM楽曲を選定する側に
我々の世代がなってきているという現れでもあるんだろうな、というのは、
先の90年代で嫌というほど70年代リバイバルがあった後だけに、
頷けたりもするわけなんですが。

70年代と80年代って、何が違うのかな、といろいろ考えるに。
70年代は、60年代の熱気が冷めた時代、と扱われました。
英国ではビートルズが解散、米国ではベトナム戦争反対の
ムーヴメントから派生した学生運動〜ラヴ&ピース、ウッドストックと
いう夢が「アメリカ敗戦」という現実の前にさめてしまって、
後には「産業化したロック」という現実が残った。
その中で、ソフト・ロック〜ハード・ロック〜
プログレッシヴ・ロック〜グラム(グラマラス)・ロックと、
ロックひとつとっても次第に細かくジャンル化されて行った末に
パンク・ロックが登場して、シーンを原典回帰させる現象がおこった、、、
というような。最後の創造的精神がきらめいていた時代、とも言えます。

80年代は、、、産業ロックの構造「再生産」の始まり、と
いってもいいと思います。
耳障りがよく、売れそうな楽曲のフレーズやコードは、
既に大メジャーな先達がやり尽くしてしまっている。
こうなると、ソウルやディスコなどのブラック・コンテンポラリー
(黒人音楽)や、当時エスニックと呼ばれた辺境地域の音楽との
融合が進んでいく。レゲエとロックの合体、とか、
ラップとハードロックの結合、とか。
もうそこには純粋な「1からの創造性」という要素は失せて、
「あらかじめあるもの(音楽的素材)」のパッチワーク、という、
どちらかというとプロデューサーのセンス重視な時代、という色彩になります。

時代性の違いのウンチクはともかく、
70年代と80年代の「目に見える(耳でわかる)」違い
ってナンだろう?と、考えてみましたらば、、、

「70年代はギターの時代」で、
「80年代ってキーボードの時代」だったんじゃないかなあ。

と、いう、結論に、僕の方ではなってます。

もちろん、70年代でもキーボードがフィーチャーされたものはあります。
特にエマーソン・レイク&パーマーらのプログレなんかは
そうだったと思うんですが、当時はキーボードやシンセサイザーの類って
とにかく高価なので、積極的に導入しよう、という向きは、まだ当時の
アーティスト連中にはなかったと思うし、プログレはどうしても
「高度な演奏技術」「難解な文学、衒学的趣味」という、
お高い印象がついて回っていたために、普及も進んでなかったのでは
ないかなと思います。
それが、70年代末〜80年代初頭のパンクの後に来た「ニューウェーヴ」
ムーヴメントで、一斉に電気楽器が使われるようになって来た。
全盲のスティーヴィー・ワンダーはフルデジタル演奏を
いち早く取り入れていましたし、日本のYMO、ミッキー吉野や
冨田勲、喜多郎の活躍も影響を与えたでしょうし、
ゲイリー・ニューマンやドイツのクラフトワークも、
相当に欧州の市場には影響力が強かった。

ぎゅわわ〜〜〜ん、より
ほわわ〜〜〜ん、の時代だった。

で、シンセサイザーの普及は、ポストパンク世代の
「新しもの好き」、という側面もあるんでしょうけれど、
単純にパンク以降の新人アーティストの

「ヴィジュアルはいいけど演奏技術のヘタさを隠すため」

という側面も十分あったように思えます。
出たてのデュラン・デュランなんかは初々しいこと
この上ありませんでした(笑)が、以後、キーボード奏者が
バンドの音のイニシアティヴを握っていったような時代、、、
それが80年代の大きな特徴だったと思います。
その傾向は、80年代末に英国でストーン・ローゼズが登場し、
米国でガンズ&ローゼズが登場して、その後にグランジが続き、
再びギターが表に出てくると言いますか、
パンクに回帰していくという、再・再生産な90年代を迎えるわけです。

毎度、前置きが長いのがこのレコードレビューの欠点でもあり、売りなんですが。

ここでご紹介するのは、レッド・ツェッペリン。

Zep_3

60年代のロックをもっと激しくした形の70年代型「ハード・ロック」、
に、カテゴライズされているバンドです。
一般的なイメージを、Wikipediaから。

「1970年代、世界中で圧倒的な人気を誇った英国のロックバンド。日本においても彼らのアルバムが発売されるとすぐにスーパースターとなり、1971年の初来日公演の衝撃と演奏の素晴らしさは日本の音楽史上に残る伝説となった。」

「常にマスメディアと距離を置き、最初期を除きTVでは殆ど演奏しなかったにもかかわらず、アルバムセールスや観客動員数・ギャランティで他に類を見ない空前の記録を作り続けた。解散して27年以上経った現在でも世界中でアルバムは売れ続け、巨大な影響力を持ち続けている。アメリカだけでも通算アルバムセールスは1億枚を超えており、エルヴィス・プレスリーやビートルズ と並ぶセールスを誇る。これはマイケル・ジャクソンやローリング・ストーンズの倍以上のセールスである。なお、全世界でのアルバムセールスの累計は現在のところ3億枚を突破している。」

メンバーは、
ロバート・プラント(Vo)
ジミー・ペイジ(G)
ジョン・ポール・ジョーンズ(Key)
ジョン・ボーナム(Ds)
の、4人。

69年発表の「レッド・ツェッペリン I」は、全米10位、全英6位の
スマッシュヒット、続く「II(「胸いっぱいの愛を」収録)」では、
ビートルズのキャリア最終作「アビイ・ロード」を首位の座から
蹴落として全米/全英No.1を記録、
名実共に、ロックの世代交代を果たすことになります
(ちなみに「II」を蹴落としたのが、同じ英国のキング・キリムゾン)。
「III」では、メンバーのトラッド趣味をハードにアレンジした
「移民の歌」が、続く「IV」では永遠の名曲と言われる「天国への階段」、
「ロックン・ロール」「ブラック・ドッグ」
「ミスティー・マウンテン・ホップ」「限りなき戦い」など、
硬軟自在なやりたい放題のクオリティを遺憾なく発揮。
「サンキュー」が「ノー・クォーター」が今もカヴァーされるような
「聖なる館」、名曲「カシミール」収録の「フィジカル・グラフィッティ」。
ツェッペリンのキャリアは75年ごろまでに絶頂を極めます。

ツェッペリン、そしてアメリカで同時期に活躍のイーグルスなんかは
オフステージの話題にも事欠かないのですが、

「『レッド・ツェッペリン I』でデビューした彼らは音楽シーンに衝撃を与えると同時に、またたく間に人気を得たが、オフステージでの乱痴気騒ぎは酒池肉林を地で行く激しさで、大抵のロックバンドのご乱行には慣れているはずのプレスの眉をしかめさせた。また新人としては破格の、アルバム5枚で20万ドルというレコード会社との契約金は、牧歌的ヒッピー文化の色濃い当時にそぐわぬ華々しさであり、その素行などは常にマスメディアからの攻撃の的であった。またTVでの演奏を拒否し、プレスに対し辛辣な態度を取るツェッペリンにマスメディアの大勢は、熱狂する聴衆と市場に反してバンドの解散まで酷評し続けていたという逸話が残っている。」(Wikipediaより)

と。そのあたりは、いろんな過去の雑誌や近年のメンバーの述懐に
出ているので、ここでは取り上げません。

その後、ツェッペリンは自身のレーベル「スワン・ソング」を
立ち上げて「プレゼンス」を発表するも、ペイジの独断が目立ったり、
比類なき高声域を披露して来たプラントの声量が落ちて来たり、
「1977年(昭和52年)、アメリカツアー終盤、ロバート・プラントの愛息カラックが急逝した。悲嘆にくれたプラントは急遽帰国し、以後しばらくの間公衆の面前から姿を消す。ツアーの残り7公演はキャンセルされ、レッド・ツェッペリンは長い活動休止期間に入った。(Wikipediaより)」
その間、「永遠の詩」というバンドの記録映画的サントラを発表)
今作「イン・スルー・ジ・アウト・ドアー」は、まさにその
活動休止あけのアルバム、と位置づけられていて、
しかも今作リリース後の翌80年に、オリジナル・メンバーで
バンドのハードロック色を演出して来た爆音ドラマー
ジョン・ボーナムの死去があったため、実質的にレッド・ツェッペリンの
リアルタイムでの最終レコーディング作品という形になっています
(82年発表の「コーダ(最終楽章)」はアウトテイク集です)。


収録楽曲は、以下の通りです。

1.イン・ジ・イヴニング/In The Evening (Jones, Page & Plant)
2.サウス・バウンド・サウレス/South Bound Saurez (Jones & Plant)
3.フール・イン・ザ・レイン/Fool in the Rain (Jones, Page & Plant)
4.ホット・ドッグ/Hot Dog (Page & Plant)
5.ケラウズランブラ/Carouselambra (Jones, Page & Plant)
6.オール・マイ・ラヴ/All My Love (Jones & Plant)
7.アイム・ゴナ・クロール/I'm Gonna Crawl (Jones, Page & Plant)

produced by ジミー・ペイジ
Jacket Design:ヒプノシス
Release:1979.8

ロックの代表的なバンドは、それぞれにタッグを組んでいる
ソングライティング・チームがあるものらしく、
ビートルズではジョン・レノン/ポール・マッカートニー、
ストーンズではミック・ジャガー/キース・リチャーズ、
イーグルスではドン・ヘンリー/グレン・フライ、、、と
枚挙にいとまがないんですが、ツェッペリンも基本は
ジミー・ペイジ&ロバート・プラントの作曲が多く、もっぱら、
ペイジがアイディアを出し、プラントが歌詞をつけるといった役割。
そこに、今回はジョン・ポール・ジョーンズの名前が多く出て来ています。



ここで、やっと冒頭の前文とリンクさせるわけなんですが、
80年代はキーボードの時代だった、と僕が思ったのは
79年発表の、このレッド・ツェッペリンのアルバムが、
「ハードロックではないツェッペリン」のアルバムだった、と
いうことからなんです。それほどまでに、ジョーンズの
キーボード/シンセサイザーが全曲にわたって活躍している内容であり、
確かに、リアルタイムのファンには受け入れがたかった
内容であることも、一聴すると理解できます。
これは、「そのうちキーボードの時代になる」と、嗅覚の鋭い
ペイジのアイディアかな?と、当初思ってたんですが、
どうもWikipediaをみてみると、違うようです。

「1978年5月、ようやく傷心の癒えたプラントを迎えてリハーサルが行なわれた。このリハーサルを通じてメンバーはバンド継続の意思を確認しあい、新作の準備が始められることとなった。11月、バンドはABBAの根拠地であるスウェーデンはストックホルムのポーラー・スタジオで録音作業を開始する。休止期間中、自宅に新しいシンセサイザーを導入して新曲をストックしていたジョン・ポール・ジョーンズがセッションを主導した。」

「ジョーンズの回想によれば、ペイジはやる気を見せず、時としてスタジオにはプラントとジョーンズとだけが放置されるような状態であったという。他方、前作「プレゼンス」のセッションにおいてペイジが強引にセッションを進め、これがもとでペイジとジョーンズとの間に軋轢が生じたことにかんがみて、ペイジが意識的に身を引いていたと見ることもできる。」

また、こんな当時の状況も、バンドの音の変化に寄与していた、
とも見ることができます。

「活動休止期間中、パンク・ロックが隆盛をきわめ、レッド・ツェッペリンは過去の遺物であるとの議論もなされるようになっていた。これらに対して「ドアの外側から内側へ」人々の関心を取り戻すという意味を込めて『In Through the Out Door』という題名が付けられた。」

確かに当時、セックス・ピストルズを筆頭とした
ブリティッシュ・パンク勢は、ローリング・ストーンズ、ツェッペリン、
そしてピンク・フロイドらを「頽廃しきった金持ちバンド」と攻撃して、
自分らとの差別化を図る言動をしていました。
ツェッペリンも、ストーンズも、フロイドも、ビートルズ無き後
再起したポール・マッカートニー&ウィングスなど、70年代前半〜中盤まで
ロック界を牽引して来た疲労で、みな一時そろってヘバッてしまい、
各バンドともにメンバーの意気上がらぬまま「隠居」に入りかけていたため
皮肉にも、この英国発のパンク現象と米国のディスコ現象とが
彼らにいい刺激を与えた格好になり、ストーンズは「ミス・ユー」で、
フロイドは「ザ・ウォール」で、ウィングスは「夢の旅人」で
倍返ししてしまう格好になるのですが。。。

「『プレゼンス』がペイジのアルバムであったのに対して、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』はジョーンズのアルバムであったと言えよう。ジョーンズは7曲中6曲でリード・コンポーザーとしてクレジットされており、またキーボード中心の編曲にも多大の貢献をなしている。クレジットとは裏腹に、実質的なプロデューサーはジョーンズであったと言われる所以である。

「反面、いわゆる「レッド・ツェッペリンらしさ」には欠ける点もあり、古くからのファンの中には、このアルバムに拒絶感を覚える人もいた。楽曲の出来も、必ずしも完璧とは言えない面もあり、結果として大ヒットアルバムになったのはジャケット・デザインでファンの購買意欲を煽ったからに過ぎないという見方もある。」

ヒプノシス、は、ピンク・フロイドのジャケット・アートでも
有名なデザイナー集団なんですが、この当時のヒプノシスの作品は
ちょっと過渡的な感じがして、あまり出色とは言えない気もしなくもないです。



では、YouTubeより、今作の1曲目に収録されている
「イン・ジ・イヴニング」を。

(上記画像、音声、記述は個人的趣味による引用ですので、あしからずご了承ください。)



82年に自然消滅的な解散、となってしまったツェッペリンですが
その後はペイジ/プラント/ジョーンズともにソロ活動をこなしていきます。
プラントは我が道を行く、と行った風情でしたが
ペイジは84年に、僚友プラントやジェフ・ベック、ナイル・ロジャースと組んだ
ギタリスト・ユニット「ザ・ハニー・ドリッパーズ」で
原点回帰し過ぎのオールディーズ・カヴァーを披露したかと思えば、
ポール・ロジャース(元Free、Bad Company、現クイーン)と組んで
「ザ・ファーム」を立ち上げて、往年の、とは言わぬまでも
ハードロック色強いアルバムを2作リリース後、初めてペイジ単独名義で
88年に「アウトライダー」をリリースします。
その後、今度は92年頃にホワイトスネイクのヴォーカリスト/
デヴィッド・カヴァーデイルと組んだりしていい仕事をしているのですが、
94年のMTVアンプラグド企画でふたたびプラントと組んで
ライヴ盤「ノー・クォーター」をリリース、その流れで97年に
ペイジ/プラント両名の名義で
「ウォーク・イントゥ・クラークスデイル」を発表、「カシミール」を
彷彿とさせる「モスト・ハイ」でファンを驚喜させました。

ツェッペリンの再結成を!という声は、消滅後ことあるごとに
わき起こっているのですが、解散後のペイジはソロ活動の傍らで
過去音源の公表やデジタル・リマスタリングの監修も勤めているようです。
プラント自身、ボーナムの居ないツェッペリンで再結成、という熱意は
かなり薄かったようなので、80年代での再結成は
85年の「ライヴエイド」でドラムにフィル・コリンズ(元ジェネシス)、
トニー・トンプソン(元パワー・ステーション、シック)を迎えて3曲
披露、という程度にとどまりますが、
ボーナムの息子ジェイソンが成長して来て以後、90年代は何度か
オリジナルメンバー3人+ボーナムの息子という組み合わせでの
再結成ライヴを散発的に行っていました。

Zeppelin2008_2
(ローリングストーン誌の表紙を飾った3人。07年)

最近ではそのラインナップで、07年の12月にも再結成ライヴが
されていますが、この時は4人がリハーサルも入念に重ねた上に、
全世界的に報道されて、なおかつ大盛況という結果もふまえて
(なんでも女優の沢尻エリカと、交際中のマルチクリエイター高城剛氏も観客に居た、とか)
08年に入ってからペイジとジョーンズに本格的に
レッド・ツェッペリン再結成を!という気勢が上がって来たにも
かかわらず、プラントはこれを拒否、米国のスコッチ・アイリッシュ系音楽
”ブルーグラス”の歌姫/アリソン・クラウスと組んだアルバム
「レイジング・サンド」を発表、
もはやプラントのアタマにはロックという文字がない?というような内容の
非常に味わい深いアルバムを作ってのけてしまいました。

再結成ツアー不参加の理由は、「レイジング・サンド」が大好評で
アリソンとのツアーが秋まで入ってるし
この先2年は誰ともツアーする気なし、というのが理由なんですが、

まあ、、、、
Plantkraus

まあ、プラントにとってみれば
もう飽きも入ってる同僚のおっさんたちとまた一緒にツアーして
回るなんて、いくら友情あってもしばらく御免こうむりたいという
気持ちには、なるやもしれませんね(爆)

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