Photo〜五稜郭/北海道函館市(2008.8)
特別史跡・五稜郭。

でかいんです。
おれのニコンD50の35〜80mmレンズでは完全にフレーム・インできません。
それにしても、本当に見事な築城技術です。

Wikipediaが客観的記述を書いています。ご紹介しますと、、、
「五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に現在の北海道函館市に建造された城郭および当時日本で建造された星形の城郭の通称。長野県佐久市の龍岡城(未完成)も五稜郭として知られるが、一般的には函館のものを指す。」
「当時の正式名称は亀田役所土塁(柳野城とも)。国指定特別史跡。「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。」
建造に至るまでの概要は、、、
「日米和親条約(1854・嘉永7年/hayato註)締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するために江戸幕府征夷大将軍・徳川家定(第13代/hayayto註)の命により築造された。設計を担当したのは洋式軍学者の武田斐三郎。大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、堡を星型に配置している。 総面積、74,990坪(約247,466㎡)、施工は土工事を松川弁之助、石垣工事は井上喜三郎、奉行所の建築には中川源蔵が請け負った。」
「当初は外国の脅威に立ち向かうために築造が計画されたが、脅威が薄れていくとともに築造の目的が国家の威信になった。」
姫路城や大阪城、熊本城など日本に現存しているお城も
一部観光化されているところはあるものの、どちらかと言えば
一国大名の威信を示すモニュメント的な性格があるような気がするんですが、
この「五稜郭」は、本当に軍事用に作られた施設であると言えるでしょう。
もともとは「攘夷」、対外勢力の防御を意図して建造されていたのが
結果的に国内の政治的内乱による旧勢力の最後の砦、となったのは
皮肉と言うべきでしょうか。
1857(安政4)年に着工、1866(慶応2)年に工事完了、と
いうことで、幕府持ちの施設として機能していたのは
戊辰戦争が終結した1869(明治2)年までのわずか3年、と
いうところでしょうか。
確かに、6年もかかるわけです、これだけの複雑な造形を完成させるまでは。


明日も、五稜郭タワーからの残りの写真をご紹介。
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